2010/05/22

【休肝日】あなたの御先祖は?

部屋の整理をしていると、古い手紙やら写真やらの中から、家系図が出てきた。
というと家の土蔵から巻物を取り出すのを想像するが、残念ながらA4のコピー3枚である。

昔の三崎の人々

伯父さんがいつかの正月の宴会でどこかで調べてきて、そのときに配られたものだ。
面白いから取っておいたのだ。

それによると、私の祖父藤吉は7人兄弟の次男で、明治38年(1905年)生まれ。長男と聞いていたが、実は上に兄がいたようだ。生まれて1月ほどで亡くなっている。

藤吉はマグロ漁船に乗ったり、調理師をやったりとバラエティに富んだ人生だったようで、最後は近海漁業の漁師だった。
父親の力造は7人子供を作ったのちにぽっくり逝ってしまったらしく、兄弟姉妹を養うのに大変だったとは子供ながらに聞かされた思い出がある。
漁から帰った時浜で脳溢血で倒れ、一時ボケて寝たきりだったが、何もせずに復活、遠い耳をいいことに駄洒落を連発しては笑いを取っていた祖父であったが、それはまた別の話。

力造は8人兄弟の長男で明治5年(1872年)生まれ。力造の妹、三女のソノも生まれてすぐ亡くなっていて、昔は兄弟の数も多いが亡くなることも多かったのだと実感。

で、力造の父は七左衛門。3人兄弟の長男である。
彼は嘉永4年生まれ。嘉永4年は1851年である。
ちなみに嘉永6年(1853年)にペリーが黒船で浦賀に来航している。さぞかし世間は騒がしかったことだろう。三崎の沖合いに黒船が見えたかもしれない。

七左衛門の父は六次郎で、彼の生まれは残念ながらわからない。

嘉永というと江戸幕府である。葛飾北斎が嘉永2年に89歳で亡くなっている。江戸幕府というと遠い歴史の中の気がするが(なにしろちょん髷である)、たかだか150年程度の昔である。が、150年生きる人間はこの世にいないわけなので、 そう思うとはるか昔にも思えてくる。

当時の三崎の街はどんなところだったのだろうか?

ご先祖様の住所まではわからないが、本籍と変わらないのであれば、魚市場の近く、道路から入ったところが俺の本籍で、俺の生家はそこである。現在は大火で燃えてしまい面影はまったくない。

で、昔は魚市場の前からずっと海辺だったという。
今は埋め立てられて、岸壁が続いており、海は何百メートル以上も向こうだが、当時は道路の向こうまで波が寄せていたようだ。
道路沿いに建つ三崎館本店(まぐろのかぶと焼きで有名)の家屋からは海がすぐ下に見えたそうであるから、なかなか風流であったに違いない。

会ったこともない人たちがいて、今の自分がいるという事実。
どこかしら似ている部分があるのだろうと考えるとなんだか自然と顔がほころんでしまった。

六次郎の先祖は、という話だが、伯父さんは村上水軍が瀬戸内から南下してきて、そのまま三崎にいついた、ということを言っていた。
それは少し出来すぎで、かっこよすぎる。先祖が海賊。
海賊は海賊でも、飯炊きだったんだろうなあ、と誰かが言って皆がわっははと笑い、座が暖かくなった。

もうこれも15年以上前の話である。
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コメント

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No title

hiball555さん
これは凄いです。
写真はコピーではないですよね。凄い。
ただいまは、酔って候状態なのでコメ控えますが、凄いです。

Re: No title

酒呑親爺さん

写真は三崎の見知らぬ方々の写真なので置いといて、内容はほんとですよ。
というか、ほんとかどうかは誰もわかんないですが(笑)。