高松に宮脇書店という書店チェーンがあって、この前行ってみた。こちらは
屋上に観覧車がある本屋として有名なのだけれど、俺が行ったのは商店街のアーケードにある店。東京ではアーケードや商店街にある書店はどうしても売れ筋のベストセラーや雑誌をメインに置いているのだけれど、この店は棚作りが個性的で平台の本にも発見があった。こんな本屋さんがあるなら高松暮らしもいいかもしれない、と思ったのは別の話で、今言いたいのはこの書店で見つけたこの本がとっても良かったということ。
『孤独の中華そば「江ぐち」』はあるラーメン屋さんを好きで25年間通った男とその仲間のことをつづった一冊。「江ぐち」は三鷹の駅前にあった中華そばの店で、ラーメン好きならだいたい知ってるのかもしれないけど、俺はどこかで聞いたことがあるなあ、といった程度だった。2010年1月に惜しまれて閉店している。後でどこで知ったのかな、と思ったら
平民さんがブログで書いていて、たぶん彼に教えてもらったんだと思う。
ラーメンを食べながら泣いている人を初めて見た、と言うくだりが心に残っていたのだ。
原作は久住昌之さんで、彼は
「孤独のグルメ」の原作者として、また傑作漫画(「かっこいいスキヤキ」とか)をいくつも描いているベテラン。
彼が若い頃に好きな「江ぐち」というラーメン屋について書いたのが25年前で、その部分が第1章、2001年に文庫化された際のあとがきが第2章、その後ホームページに日記として書いた文章を集めたのが第3章。
手に取ったのはタイトルの「孤独」部分に反応したのと「江ぐち」という店を聞いたことがあるな、と思ったのと、あとは帯部分のコピーで、それは「誰かの人生のようなラーメン屋があった・・・」という何か読みたくなるようなものだった。(読み終えた後も「孤独」についてはピンと来なかったけど、今なるほど「孤独のグルメ」からとったのかと思って膝をうった。)
ある雨の休日に一気に読んだ。後半は涙をこらえるのに困った。
「江ぐち」というラーメン屋やそこで働いている職人さんや、店にまつわるしょうもないことをいちいち妄想するのが本書の内容なんだけれど、時間の流れというファクターがそれに関連してくるとそのいちいちが一気に重みを増す。
勝手に「タクヤ」とか「アクマ」とか「オニガワラ」などと職人さんにあだ名を付けて似顔絵を載せている無邪気さからはじまるこの一冊だけれど、25年も経てば店を辞める人もいて、新しい職人さんが入ってきて、一緒に食べていた友人たちも結婚したり離婚したりの何がしらがあって、気が付いたら自分は50歳を超えている。
最後の方、作者が若い頃に撮った写真を観たところで涙をこらえられなくなった。
厨房の中で麺を湯切りする「タクヤ」と「アクマ」はその時の作者よりも若く、いい笑顔をしているのだ。
それはまるで、昔のアルバムを開いて、今は亡き親族や離れてしまった友人の笑顔を見た時の感じだった。
これは、久住さんや友人たち、そして「江ぐち」で働いていた職人さんたちの一つの時間の流れを凝縮した一冊で、もうそれだけでものすごく価値のある一つの作品です。
友人たちとくだらないことを言い合って何がおかしいのかケラケラと笑っていたあの頃を思い出して、ふともう二度とあの時間は無いんだ、あの時だけだったんだ、とある時気が付く。通り過ぎてから気が付く大切な時間。そういう時間のことを言い表す言葉はみんなが知っているからここには書かないけれど、そんな時間を追体験出来る傑作。「江ぐち」の中華そば、食べたかったな・・・と思うのも間違いありません。