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2010/07/19

【休肝日】「それからはスープのことばかり考えて暮らした」を読む

もしふいに仕事を辞めたとしたら。

きっと1週間とか1ヶ月は自由な気持ちで過ごしているのだろうけれど、そのうちきっと焦りが芽生えて来るに違いないと思う。なにしろ預金通帳の数字が減るばかりな日々はいつかその数字がゼロになるわけで、そう思うとどんな仕事であれ働かないと、と思うのだろうな、と想像する。

それからはスープのことばかり考えて暮らしたそれからはスープのことばかり考えて暮らした
(2006/08)
吉田 篤弘

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この物語の主人公であるオーリイ君はその辺の気持ちが薄い青年で、勤めていた会社を辞めた後は路面電車で一駅行った町のさびれた映画館で昔の映画を観るのが日課だ。そんな彼がサンドイッチ店で働くことになり・・・。というのが物語の序盤。

物思いに沈みがちな今でいえば「草食男子」の主人公が、下宿のマダムや謎めいた老婦人と出会い、またサンドイッチ屋の店主やその息子と触れ合う中で生活が変わっていく話、である。

とは言うものの、振幅の激しい恋愛であったり、ぶつかりであったりというのはここの中ではまるで出てこなくて、牙を抜かれた草食動物たちがお互いを慰め合っている世界というか、どうにもこうにもしっくり来ない。血も肉もある人間は、そうじゃないだろう!と何か叱り飛ばしたくなるような世界。

だけど、この中で書かれるサンドイッチであり、スープであり、というのは美味しそうで、その部分だけでも読んだ甲斐があったと思った。

書かれている理想のサンドイッチは「母親のサンドイッチ」。そう思うと人それぞれ違うサンドイッチ像が脳裏に浮かぶはずで、ある意味ずるい。でも確かにそれが「やわらかかった」のはほんとうで、そう思い出させてくれた、というだけでまあいいか、という気になった。

物語の終盤、オーリイ君が作るスープを食べて、みんな自分の美味しかったスープの記憶を語り出す。
その共通点は、誰かが誰かに「せいいっぱい美味しくなるように作った」こと。

自分のために作った食事よりも、誰かのために作った食事の方が美味しい。
レシピ本を一生懸命読み込んで、何回もテーブルとキッチンを行き来して、作ってくれた料理はきっと美味しい。
そんな当たり前のことを思って、不覚にも胸が熱くなった。

雰囲気に流れる文体や描写の少なさや定型的な台詞は小説と呼ぶにはイージーだけれど、書きたいことや気持は伝わる一冊。

連載された雑誌は「暮らしの手帖」で、なるほど、と膝を打った。

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