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2009/12/26

【休肝日】「めくらやなぎと眠る女」を読む

村上春樹さんに少なからず影響を受けた人間は数多くいるだろうが俺もその一人で、たまに「やれやれ」とついひとりごとが口をついたりする。

その彼の翻訳された短編アンソロジーを日本語版として発売した、いささかややこしい本がこの「めくらやなぎと眠る女」だ。すでに第1弾はずいぶん前に発売済みで、どちらもペーパーバック風の洒落た作りになっている。入っている短編はどれも以前読んだことのあるものだが、ものによっては大幅に改稿されている。

めくらやなぎと眠る女めくらやなぎと眠る女
(2009/11/27)
村上春樹

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音楽に例えるとオリジナルアルバムではないベスト盤の第2弾で、リマスターされた曲が入っていると言ったらわかりやすいだろうか(わかりにくい?)。

一曲目から聴いていて、おっこれが入ってるのか、とほくそ笑む感じも似ている。

春樹さんの小説で特徴的な食べ物と言えば、
やはり「スパゲッティー」だろう。

(次点は「サンドイッチ」)。

一種のアイコンであった「パスタを自分で作る男性像」が春樹さんによって作られたのは巷説違わないと思うが、この短編集には「スパゲッティーの年に」という作品が入っている。

「1971年、それはスパゲッティーの年であった」という言葉から始まるこの小品は、年がら年中スパゲッティーを食べていたということを振り返る話。

ここでいう「スパゲッティー」はもちろん何かのメタファーなのかどうかは置いておいて(たぶんそうだ/何しろ純文学であるから)、毎日ナポリターナやらカルボナーラやらペペロンチーノやらなにやらを食べているというのは一種やはり何かを内側に抱えている姿であって(ナポさんのことを言っているわけではないですよ)、パスタが茹であがるまで冬の陽が差す畳(どうやって訳すのだろう?)に寝転んでいる若い男に感情移入してしまう自分がいる。

そこが、長い間若者(や、かつて若者だった人たち)に受け入れられる理由なのだろうと思う。

色んな作品で繰り返し描かれる、
「自分が自分で無いような夜」や、
「どこかに行きたくてもどこに行っていいかわからない夕暮れ」
は誰もが経験しているはずで、
「手を伸ばせば届きそうな対岸の灯り」への憧れや、
「失われてしまって戻らない時間」も、
そう思えばきっとあれが自分にとってのその心持ちだったのだろうと不意に胸を突く。
(自分の経験に刺されてしまうのだ)

その普遍さにはやはり手に取ってしまう、そして読み返してしまう力があって、今回もまた読書の喜びを堪能したと共に過ぎ去った日々を思っていささかブルーになったのだった。


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